小さな幸せ、大きな虚無感。

前回の日記で紹介した北村薫さんの「ひとがた流し」にこんなシーンがある。登場人物の一人、30代の独身男性がある朝、朝食に食べようと混ぜていたパックの納豆を食卓から落とす。落とした瞬間、彼は床に散らばった納豆という図を想像し、掃除の手間を考え嘆息する。だが、納豆パックはプラスチックの底面を下にして落ちてくれた。彼は独りで安堵する、あぁこういうラッキーな事もあるんだな。だが、次の瞬間に彼はまた思うのだった。あぁ俺の幸せって、こういうちっぽけな事だけなのだろうか、と。幸せを感じた反動の、大きな虚無感・絶望が彼を襲うのだった。
このシーンの小さな幸せと大きな虚無感は、穂村弘さんの「世界音痴」の中の、大トロのパック(半額シール付)のエピソードと同じだろう。穂村さんが半額になった「大トロ」を買おうか買うまいか迷っている時、不意に襲われた虚無感。「人生って、これでぜんぶなのか」「ほんとうに、まさか、これで、ぜんぶ、そんな」、穂村さんは愕然とする。どちらも30代独身男性のお話。独身男性の悲しみは、食べ物から、そしてささやかな幸せの反動から始まるのだろうか。幸せが怖い。