オリジナルだと思った 2.

「イジり」と「いじめ」と「イメージ」は似ている。その人を代表する「イメージ」が、「イジら」れ、やがてエスカレートしてしまうと「いじめ」になる。受ける「イジり」が愉快か不快か、判断できるのは本人自身だけである。

と、↑の文章は、お正月、オバたちにイジられている新婚のお嫁さんを見て書き溜めていた事である。その日、新婚の嫁は「家事を(それ程)やらないキャラ」に設定され、そのキャラで一日中イジられていた。しかし、それは新婚夫婦の旦那さんが家事=女性の仕事だと思っていない進歩的な人であって、オバさまたちが結婚したウン十年前とは夫婦のスタイルが違い、彼女たちの旦那はそういう人でなかったというだけの話である。けれど嫁は、ずっとイジられていた。当事者でもないのに私は「あぁこれから毎年、親戚で集まるたびに彼女はダメ嫁キャラをイジられるんだろうか…」と心配に思い、↑の文章を思いついた。意外に当事者(嫁)は平気なのかもしれないけど。多分この「イジり」に一番心を痛めているのは、その優しい旦那さんであると、私は思っている。

と、ここまで私の「完全なオリジナル」な思考だと思っていたが、先日の新聞で青春文学大賞を受賞した木堂椎さんの「りはめより100倍恐ろしい」という本の紹介文を見て驚いた。なんとタイトルの意味は『「イジり」の「り」は「いじめ」の「め」より100倍恐ろしい』というという事だった。どうやら作者は「いじめ」よりも「イジり」の方にスポットを当てているみたいだけど、大体の発想は同じである。というより、もはや完全に私の後出しジャンケンっぽい。オリジナリティの欠片もない…。先に小説にすれば小説家デビュー出来たかも…!?