新春特別企画。

純愛を語る。

新春と言っても、もう11日ですけど。
ここ数日、新聞に「新戀愛論」というコーナーがある。
純愛の定義からヒットした背景まで考察するというもの。
今日は「純愛と死」だと思う(私的に)。
新聞片手に要約すると、


↑の「セカチュー」も「いま、会いにゆきます」も死を扱っている。
これは昔の作品も同じで、日本人はメロドラマに弱い。
この安易な死のドラマは自己愛とも言える。
つまり相手を必要としていない、自分ひとりの物語なのである。
自分ひとりの世界に浸るために、女を死に追いやる。
セカチュー」のタイトルなんてジコチュウそのものでしょ? と結ぶ。


上手い事を言うものである。
そして、私の言いたかったのはこれか、と思った。
セカチュー」を読んだ時、「死」を軽視する事への怖れを書いたけど、
「死」を扱えば、恋愛が死ぬのである。
死を以って昇華する愛なんて、独りよがりなのだ。
純愛=死=恋愛の不必要。変な話である。


ちなみに「世界の中心で愛を叫んだけもの」も「セカチュー」である。
私は「エヴァンゲリオン」第26話のタイトルで知ったけど、
セカチュー」をオリジナルタイトルだと思っている人、結構いると思う。