夏の+α読書。

日本人は戦争を悲劇と捉えているのではないか、と思う事がある。もちろん戦争は悲劇でしかないのだけれど、今の日本人にとっての戦争とは広島・長崎の原爆投下や沖縄戦という、いわば「被害者」としての戦争なのではないか、と思う事が多い。例えば教育、例えば戦争ドラマ。クローズアップされるのは被害者としての立場だ。そしてこれが日本人の戦争に対するスタンスなのではないだろうか。
他国を侵略した加害者であった頃を忘れようとする。加害者として起こした悲劇を思い出さないようにする。全てを忘れて国の発展に勤しむ。戦敗国のゼロからのスタートでありながら急激な発展を遂げ今の日本がある、というのは誇れる事だろう。しかし、その裏で終戦後35年以上も日本政府は中国大陸に残された日本人も忘れることにした。その存在をもゼロにしたのだ。名称も「残留孤児」として。彼らは「残り留まった」のではない、帰りたくとも「帰れなかった」のである。このカテゴライズ一つからも、国家という巨大なモノの権力・強制力、そして意思が見える気がした。
夏が来ると日本人は戦争を思い出す。が、果たしてそれには加害者側の戦争も含まれているのだろうか。過去の出来事と忘れようとはしてはいないだろうか。