疑問は残されたまま。

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

扉は閉ざされたまま (ノン・ノベル)

感想は コチラ に。
昨日、読了したばかりの作品。今回も、全体的には面白いんだけれど、部分的には疑問が残るという、いつもの石持作品と同じ感想。ミステリとしては嫌いじゃない。むしろ、閉鎖空間の創出に工夫を凝らす姿勢に好感を持ったりしてるんですが、今回は考えれば考えるほどモヤモヤすることがあるので私が思ったことを書きます。直感だけでちっとも論理的ではないし、イチャモンに近い考えですが…。
以下、ネタバレ。未読の方はご注意を(反転)。

本書での殺人の動機は「売春によって性感染症感染しながら、臓器提供意思表示カードを持つことが許せないことだったから」と、探偵側の優佳は指摘する。犯人伏見もそれを否定していない。自らの骨髄移植体験によって、意思表示カードを持つ者は臓器提供先でも臓器が正々堂々と活動しておけるようにするべき、との信念を持ち、その信念によって新山の臓器提供の阻止を心に決めた伏見。歪んだ考えだけれど、その思考過程は分かる。
が、ここで疑問なのが、
「高潔な犯人」は、殺人を犯すことで自分の「心身が清廉」でなくなるとは思わないのだろうか? また、それに思い当たって犯行を思いとどまらないのだろうか?
ということ。(「高潔な犯人」「心身が清廉」は共に優佳の言葉) 性感染症感染している臓器と、殺人犯でも健康な臓器は、医学的見地からは全く違うものかもしれない。が、「臓器提供者の心身は清廉であれ」という信念を持つ者が、殺人を犯すだろうか? また、殺人を犯した後もこのまま意思表示カードを持つだろうか、のうのうと優佳の隷属として生きるだろうか? 彼の信念と行動が見事に矛盾していると思うのだが…。
結局「高潔」とか言われても、自分のことは顧みないのに、他人の悪は許せないという独りよがりの正義感にしか思えない。伏見にとっては骨髄移植をしたという満足感も、自己愛でしかない気がする。そこが、とっても気持ち悪いし、小説として納得できない。
以下、横山秀夫さんの「半落ち」のネタバレがあるので未読の方はご注意を。
半落ち」の要は、本書でも触れられている骨髄移植だ。「半落ち」の主人公・梶が「半落ち(動機の黙秘)」を決めたのは、自分の骨髄を移植された側の気持ちを慮ったからだ。以下、「半落ち」の本文より『人殺しに骨髄をもらった。池上(梶の骨髄移植を受けた人)が知ったらどう思うだろう。長い歳月、悩み、苦しむに違いない。自分の身体を、血を汚らわしく思うに違いない』とある。
頭の良いはずの伏見は、こういう事を考えないのだろうか?骨髄移植をしたのは殺人を決行する前ではあるが、既に自分の骨髄を移植した患者のことを考慮に入れないのだろうか、非常に疑問だ。
移植体験によって生まれた一方的な信念を動機に据えるのなら、ラストシーンは二人だけの秘密の共有ではなく、優佳の前で意思表示カードを破ってみせるとか、優佳に伏見と新山は「汚れた」という一点では既に同じ存在だということを指摘されるラストの方が相応しいような気がする。または、もっとインパクトを出すならば、優佳に自分を殺してくれ、と頼み、その後10時間、優佳に事実を隠蔽してもらい、自分も「資格」を放棄するという決断をする、という方が面白いのでは、と思った。
とにかく、伏見のちっぽけで独りよがりな動機と、それと矛盾した行動に違和感を持つ。このナルシストがっ!

反転ここまで。
ふふふ、今日の私は「ミステリ者」っぽいぞ。